gymnoの自由談

音楽系、プログラミング系の内容 方針はいずれ

宇宙の歴史が消える日

日経サイエンスのページ
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0806/200806_022.html

 無情にも,私たちは非常に奇妙な結論にたどりついた。宇宙の時代のなかで,知的な観測者が膨張宇宙の本質を推論できる時代は,実は非常に短いのかもしれない。さらに重要なことに,私たちがビッグバンの証拠となる観測事実をすべて検出できる幸運な時代に生きているのは確かだとはいえ,宇宙の他の基本的な側面が現在すでに観測不能になっているということも容易に想像できる。

宇宙背景輻射が数十億年後には原理的に観測不能になっているとか


一応購読しているので元記事は読んだが 雰囲気としてはこの紹介記事で充分伝わってしまうな
と思っていたら 原題で検索すると そもそも本家scientific americanでは記事が全文読めるのね
http://www.sciam.com/article.cfm?id=the-end-of-cosmology


とはいえアシモフの有名な短編 最後の質問 を彷彿とさせるあの印象的なイラストはないな と思っていたら
著者のページにpdfが置いてあった
http://www.phys.cwru.edu/~krauss/
やれやれ

でもまあ 日本語で読めるのはありがたいので 目は通しましょう


ついでに連想したのは

泣く子も黙る レヴィ=ストロース 悲しき熱帯
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0317.html
の第一部「旅の終り」 第4章「力の探求」に書かれたジレンマ
文化人類学者として 熱帯の文化がまだヨーロッパに汚染されていない無垢な時代にそれらに出会いたかった という欲求と でもその時分には対象をきちんと知覚できるための道具や心構えが形成されていなかったわけで 当時の人々にとってはそれは宝の持ち腐れである という泣ける事実

肩に乗るべき巨人が充分成長したときにはその巨人によって景色が既に変えられてしまった という感じかね
ゴダールベトナムから遠く離れて 的に 対象のどまんなかにいると却って対象が見えない といったように読める記述も近くにあったが それはまた違う問題かな と思う