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gymnoの自由談

音楽系、プログラミング系の内容 方針はいずれ

引越しの準備をしつつ

ブログの方ではなくて本体ね 何を持って本体とするか という問題はさておく
大体 部屋の片付けすらまともに出来たためしがないのに引越しの準備などできるはずがないのだ
既に3回経験しているはずだし しかも今回はレオパレスからの退去ということで家電は基本的に動かさず距離も近いので相当楽なはずなのに いまいち気が乗らない 気力がない


オレンジを食べたらかなりすっきりしたので ビタミン不足というのはあるだろう 最近食生活が乱れていたからな
しかし やはり心理的な抵抗があるのだろう
過去2回の退去と違って 今回の部屋にはどういうわけか愛着を感じず からっぽの部屋を見てもおそらく何も感じないだろう
むしろ 今度の部屋は少なくとも数字の上では今より広くなるので 嬉々として作業に励みそうなものだ


実際には たまりにたまったレシートの整理をしたり これなんか一枚5秒くらいで終わってしまうのだからなぜ毎日片付けられないのか と不思議に思うのだが
あるいは知人のブログの過去ログに読みふけったり  そういや囲む会のゲネプロの前夜にもこれをやって 北京オリンピックの影響を疑われたな


あるいは 引越しにありがちな動作にふけったり
http://yet.s61.xrea.com/mt/archives/000074.html
エッセイ「ロベルトシューマン」所収の かくれて生きよ というエッセイ

まず、あきることだ。あきるから、あたらしいものになり変わる。

がリフレインとなった 奇妙な開放感と諦念が入り混じった文章を読みふける 

自分のものだというおもいこみは、感覚をにぶくする。このとき、きみはあたらしい家族をもち、カバンひとつだったもちものは、家いっぱいにまでふえているのかもしれないが、くらしが安定すると、ほんとのことは見えなくなる。カバンひとつで出発する朝がくるまで、何も考えることはない。
それがいやなら、カバンはいつまでもつめたままにしておけ。壁に絵をかけるな。おもいでの写真もかざるな。からっぽのへやには風がかよい、光がさしこむ。あとをのこさず、いつでも姿をくらますことができるように、へやのなかをととのえ、ドアの指紋もふきとっておけ。

引越しや片付けをするとき これを読んで気力を出していたが 今という今 このタイミングに読むのは精神衛生上よろしくないのかもしれない 特に人間関係についての描写が残酷すぎる


あるいは シカがつらなりゆくように
こちらのほうが希望が持てるかもしれない
以前テレビを見ていたら 小泉という政治家が シカが二頭ならんで走るように などと似たようなことをしゃべっていてのけぞった

すべての関係は一時的なものだ。だから、注意ぶかくなければすぐこわれてしまう。

うん 先のエッセイの暴言をなんとか救済してくれてる気がする 気のせいかな 気のせいかも
ともあれ 台風は去ったらしい 
寝よう そして明日また作業を再開しよう