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gymnoの自由談

音楽系、プログラミング系の内容 方針はいずれ

高橋悠治の肖像

メインイベント 
ART TOWER MITO 水戸芸術館 - 高橋悠治の肖像(終了)
まず 企画・構成・出演:高橋悠治
むかし 三宅榛名との対談集で 企画は自分でやらなきゃ ということで同意していたが のちに 自分の作品は誰も弾かないから自分でやるしかない とぼやいていたのを読んだこともある
とはいえ今回は自作自演というより いろいろな芸術家とのコラボ
この人はもともとコラボは多いと思う 
僕が見ただけでもまず歌の畠中恵子とシェーンベルク ダンサーの笠井叡と即興(フーガの技法の公演はチケットは取ったが見逃した)バイオリンの鈴木理恵子とフランク バイオリンの古澤巌とブラームス 打楽器の上野信一で自作
唯一去年だかの3月21日バッハの誕生日に上野でのリサイタルだけか ソロを聴いたのは

最近の アンサンブル金沢との共演は所属オケの本番とかぶっていたことに何と一週間前に気づき 泣く泣くあきらめた
そういう人ではあるけど 今回は特に6人と共演する この企画はさすがに大変だったのでは と思う
森英恵と若いアーティストのコラボがどの程度コラボっていたのか分からなくて もしかしたら機会を与えただけなのかもしれないけど こちらはまじめに関わらざるを得ず それだけに刺激的なのかもしれない

ホールは思ったより広かった そして思ったより人はいた が満席にはほど遠い
水戸は遠いからかな

氏はいつもどおりのそっと現れる もちろんサンダル
ちゃんと一曲一曲しゃべるのはえらい
説明を終えるとつねに舞台下手側の客席で まじめに聴いていた

・クロマモルフ 2 (1964)(ピアノ:及川夕美)
いきなり この曲は難しくて弾きたくないので代わりに弾いてもらう などとのたまう
クセナキス時代のものらしく 確かにえらいことになってはいるが クセナキスほど無機的ではなく
Yuji Takahashi_Herma(Iannis Xenakis) - YouTube
武満徹と足して2で割ったような叙情があった と言ったら怒るかもしれない
プログラムノートにもあったが もともと音響が存在しているところに窓を適宜開いてそこでどのような音が聴こえるか というような作り方をしているとのこと
このころはまだ 自分のアクションによって場が変化しそれに対して というような風には考えていなかったのね

・星火(2005)(ヴァイオリン:漆原啓子
韓国民謡をもとにしている らしい がパランセのように韓国的な音階を感じさせるよりももっと分解されており ちと難解だった しかしもう一度聴けば分かるかも
タイトルは火花あるいは流れ星 ファンタリョン の意味とのこと
毛沢東だかだれかの言葉で 革命が火花のように草原をかけめぐる という概念をあらわしたものらしい

・なびかひ(2007)(ピアノ:高橋悠治
柿本人麻呂の挽歌を元にしている なびきかわしていた恋人をしのんでいる
全体に この夜のプログラムはやけに老いだの死だのに関連しているものが多く ちょっとこわくなった
坂本龍一にラジオでしゃべっていたらしいが 身辺を整理すると人は死ぬそうですよ と
最近盛んに火がついたようにコンサートをしたりCDを出したりしていて ファンとしてはうれしいが 消える前のともしびのようで心配になる
もちろんこの晩はいつものようにひょうひょうとふらふらとしていが 
この曲もちょっと難しかったが だんだん分かりかけてきたところで隣に座っていた人が咳の発作をはじめ 集中できなくなって挫折した
その人は途中で退出したが それはそれで気の毒だ

・ジョン・ダウランド還る(1974)(英語朗読:波多野睦美、ギター:笹久保伸)
カトリックゆえに国を追い出されて彷徨し それでも技術は磨き 戻ってきたら既に時代は過ぎ忘れさられて愚痴るダウランドの嘆き をやや揶揄した歌
しかし 氏曰く ま 誰でもそんなふうになるんですよね とぼそり
舞台上で調弦をしていると歌手が入ってきておもむろにかたり始める
毒のあるわかりやすい音楽だったと思う

・はじまりのことば オルフェウス教の(1989)(ドイツ語朗読:波多野睦美、パイプオルガン:保田紀子)
*オルガン演奏はエントランスホールで行います。
ゲーテ晩年の詩 
詩は訳すことができないので これは仮に訳したものです と述べる
プログラムノートに書かれた詩を見てもさっぱりわからなく ゲーテって20世紀の人だっけ と思ってしまうが とにかく詩がこのように産まれ 成長するが規則にしばられ でも最後には自由を得て飛翔する という流れ らしい
エントランスホールはすぐ演奏会場を出たところにあり 吹き抜けになっている2階にオルガンが置いてある
客は1階にいてもいいし 壁際に沿った2階にいてもよい
人の流れに乗ってそちらに向かうと 悠治氏もふらふらと客に混じって歩いていた光景が印象的だった
守護霊 偶然 愛 強制 希望という5曲から成っているが  音楽はそもそも詩がよくわからないので関連はともかくとして 音楽はオスティナートの多いわかりやすいものだったのではなかろうか
やはりピアノとは違い タッチというよりはくっきりとした音の使い方をしていたと思う まあオルガン的と言ってよいか
しかしストップをやたらに変えていたのでシンセサイザーのような安っぽい印象が少しあった
演奏が終わり 休憩
ちらっと見てみると吉田秀和さんと談笑していて そのうちまたふらっと歩き出したので 蛮勇をふるって話しかけてみた
5曲目の希望が あまり希望のように感じられなかったのが最も気になったので 
最後の轟音が自由になったところですよね
と聴くと そうです との答え
調子に乗って
そのまえのぴろっぴろっとしたのは何ですか ダムの崩壊寸前のような感じですか
などと小学生のようなことを訊くと 最初何のことを訊かれているか戸惑っていたようすだったが 
ぴろっぴろっ ?ああ あれは星
と言ってすたすた立ち去られた ああそういえばそうか
前の打楽器のときもおかしなお願いをして戸惑わせたし そろそろ危険人物としてマークされるのではなかろうか

・偲(しぬび)(2007)(尺八:志村禅保)(日本初演
この曲がかなりの収穫だったかな
地なし尺八 という 中をなめらかに削っていない笛のソロ
ある意味すなおな曲で ひとつひとつを探りつつ重音などのクラシック的には特殊奏法に分類される音を出していく 日本的
こういう曲は作らないと思っていたのでちょっと意外だった
しかし リコーダーを吹く人間として この管楽器に集中して向かう姿勢はとても参考になった

・名前よ立って歩け/最後のノート(1981)(うた:波多野睦美、ヴァイオリン:漆原啓子、ピアノ:高橋悠治
水牛楽団のレパートリー
中屋幸吉という 沖縄の市民活動家が自殺する前に書いた詩を古本屋で見つけてつけた曲
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okinawa/kikaku/022/4.htm
名前よ はふつうに沖縄民謡っぽく 明るい響き
もちろん詩は素朴な口調で深刻 
最後のノートはリアルタイムCDの 別れのために にも入っている
あれは三味線の高田和子が歌っていた この夜はそれよりも澄んだ声
しかし歌手が鈴を鳴らし前を睨みつけながら歌う 鬼気迫る感じ
詩はいっそう平易で子供の詩のようにも思える
以前 これは ぼくは12歳 の岡真史が書いたと勘違いしていた

・おやすみなさい(2005)(うた:波多野睦美、ピアノ:高橋悠治
石垣りんの詩 
プログラムノートによると 高田和子の弾き歌いのために書いた最後の曲 とのこと
これを本人が弾いたかどうかしゃべっていた気がするが忘れた
とても美しい 一般的な意味できれいな曲
歌詞もタイトルのとおり眠りに誘う内容で それだけに象徴的だった
この歌を聴きながら急に 作曲者が近いうちに死んでしまうのでは と恐怖におそわれた

・さまよう風の痛み(1981)(ピアノ:高橋悠治
プログラム最後の曲だがアンコール的な役割か
しかし なんで気づかなかったのだろう と思う
これはいろいろなCDに入っている 韓国の高銀が作詞した臨終という歌のメロディの周りにぱらぱらと音をかぶせた曲だったのだ
どちらも何度も聴いているのだが さまよう は前日の夜に予習の意味もこめてCDを2度ほど聴いた
すると この日の昼間に好文館の2階で涼しさと景色に浸っていると 突然臨終が脳内再生した
このときは そういやさまよう風に似てるな どちらも韓国風だからな と流していたが そこで気づかなかったのは不覚だった

ちなみに臨終の歌詞は 死ぬ間際の人が 私は死んでも成仏したくない西方浄土へなど行かない 郷土の霊になってずっとこの国のあちこちをさまよいたい と訴えるもの
これはこれで象徴的であり 不安でもある

全体として幅広いプログラムだったと思う
クセナキス時代あり 韓国沖縄水牛すなわち政治時代あり 邦楽器やオルガンまであり 自身のソロもあり という感じで大いに満足だった

この日の楽譜は
偲(地ナシ尺八)
nabikafi なびかひ
おやすみなさい
星火
Urworte. Orphisch(はじまりのことば オルフェウス教の)
さまよう風の痛み
John Dowland Returns

http://www.suigyu.com/yuji/ja-works.html
で公開されている
というか クロマモルフ2と名前 最後以外全部