gymnoの自由談

音楽系、プログラミング系の内容 方針はいずれ

unstableな記事

ブログのような個人的なサイトならともかく 政府機関のサイトや新聞記事 またある程度大きな雑誌のような情報発信媒体は その発信する内容や体裁に対して責任を持つとされる
ジャンクやガセが増えて全情報に占める有益な情報の割合が減っているとするなら 発信する情報に対して自己検閲を施し信頼度を高くすることによって 少なくともその発信者の情報は有益だという保証を与えようとする


当然その過程で失われるものがあり それが情報の鮮度というもの
速報性を重視すると誤報の可能性は高まるし 周辺情報との整合性チェックも甘くなる  それを恐れると何重にもチェックを行い一次情報は次第に伝言ゲームの中で変形を受け 結果その媒体の内部の色に染まった記事が読み手の前に姿を現すこととなる この場合公平性や正確性は 少なくともその機関の信じる限りにおいて保たれる事となる しかし現場の空気など切り取られることも多く 内部で死蔵 というケースが非常に多いだろう


一方で 速報性の極致たる実況では編集の過程がどこまでも薄くなるため 記者のような情報収集者の主観が大いに現れる  
この場合 鮮度が高く臨場感や訴求力は高くなるが 個人的な思い込み また表現の失敗によって与える誤解などの危険性も大いに高まる


で どっちを選ぶか という話になるのかもしれないが ここはあえて両方を提供する ただしいっぺんに示すとそれこそ玉石混淆となってその発信媒体による情報の信頼度を下げることとなる  


なので分ける


ソフトウェアのリリースでは たとえばLinuxdebian ではunstable testing stable という3つの段階があり 最初のものはとりあえず最新の機能を入れてみたがバグやシステムのほかの部分との整合性チェックは最低限しか行っておらず 鮮度と危険性を持った版である
testing stable と進むにつれ やや古くなるがこれを使っていればとりあえず安心 ということになる
redhatfedoraの関係もそういう意味では同様か あと snapshotという言葉もある


ので 情報はまず感じたままにさくっとまとめてunstableとして提示する  間違っていたり不正確だったりしても文句は言わない ただし何らかの形で誤り訂正のフィードバックの受け口を用意する 専門家にも聞く それらを機関の内部ですり合わせてstableの記事を提示する


という試みは普通に行われているのだろうな
テレビ 新聞 週刊誌 月刊誌 書籍 という流れがそれか
ここに多方面からのフィードバックを受けられるようにするのはシステムの問題ではなくてブログのような技術的な問題だな
おもしろいことを思いついた と思ったがそうでもなかったか


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