gymnoの自由談

音楽系、プログラミング系の内容 方針はいずれ

坂口安吾含む数人が訳したコクトーのサティ論を読んだ

雄鶏とアルルカンなんて 名前はよく聞くけどよく考えたら読むのははじめてだった
警句集となっていて サティがよく書いていた戯文はこれのパロディか
ラヴェルピアノ曲演奏用の二度同時押し指貫とかネタ満載だったけどコクトーの方はいたってまじめ ユーモアっぽくもあるけど当時のフランスの置かれた状況に対する必死さも感じられたり
安吾の翻訳は 時に本文より長い訳注がおもしろい
ドビュッシーとサティのあいだの緊張関係が語られているが このへん詳細知らないんだよね
あのオペラ ペレアスとメリザンドの方向性は実はレストランでサティが示唆したものだとかドビュッシーは死の床でひとりサティにわびて涙を流したとか大変に興味深い というか泣ける  
安吾曰く

二人の友情がこんな悲しい破綻をもたらしてから間もなく、ドビュッシイは死んだ。
1918年。そしてその後、ドビュッシイの嫉妬甲斐もなく、サティは落後者に逆戻りしてしまった。

安吾が所属していた同人誌のために訳されたものらしい
安吾のこの訳は 文章を見る限り1927年の夏だが違うかもしれない
違った このサイトに説明があった 

http://guis.exblog.jp/722898/
どうして北園がわざわざツアラの訳を坂口安吾に依頼するようになったのかの経緯が面白い。
 それは安吾訳による「エリック・サティ(コクトオの訳及び補註)」(『青い馬』創刊号 1931年5月1日)を北園克衛が読み、すっかり感激してすぐさま原稿を依頼した、というわけである。

1931年だってさ
こんな時期に日本にサティが紹介されていたというのはおどろきだ