gymnoの自由談

音楽系、プログラミング系の内容 方針はいずれ

スーパーエッシャー展

スーパーエッシャー展 といういかがわしいタイトルの展覧会があり 評判もよさげなので行ってみた
あいかわらず渋谷駅を出て迷う
渋谷はいままで6回ほど来たことがあるが 満足に目的地に着けたためしがない
一度などハチ公前の待ち合わせに失敗した あんなところは人間の行くところではない


http://210.150.126.198/shokai/museum/lineup/06_escher/index.html
トップに名作 階段の家 が貼ってあるのはすばらしい
尤も今回の展示では この絵の住人に でんぐりでんぐり という個人的には受入れがたい種名があたえられていた カールアップという魅力的な名前はどうした
と 思ったが 昔ぶくました
http://home4.highway.ne.jp/a_harada/mce_wentel.html
を改めて見ると curl-upも単に英訳に過ぎないようだ


http://www.muumimaailma.fi/englanti/muumit.html
http://www.muumimaailma.fi/suomi/muumit.html
これを考えると ムーミントロールはムーミペイッコだ とかスナフキンはヌースカムイイックネンだ と主張する気もなく 自分は相当アメリカに毒されているのか とも思う
といってアニメ化のときのようにノンノンとかフローレンのような名前もどうかと思うし といってテレビ局が スノークのおじょうさん みたいな 夏目漱石の こころ に出てくるおじょうさんみたいな主体性の描かれない命名は到底許されるものでもなく やはりここは明治時代の翻訳劇のような日本風の名前を考えるしかなかろう
http://www.tv-asahi.co.jp/ss/166/special/top.html
先日 NHKの 知るをたのしむ のチャプリン特集で爆笑したが 街の灯の主人公が 蝙蝠の安さん こうもりやす と歌舞伎調になっていたことなどを考慮しつつ


いや むーみんはどうでもいい エッシャーね 
オランダといえは普通はグスタフ・レオンハルトの名前が浮かぶだろうが マウリッツ・コルネリウスエッシャー なんてつい最近完結したローマ人の物語にでも出てきそうな貴族的な名前だ
人生で最初に好きになった画家で というか中学のときにはまって高校でクレーにはまった他はろくすっぽ画家を知らないので一人目のほう というべきかもしれない


中学のときに 近所の図書館で エッシャーの宇宙という本をみつけひたすらはまった

エッシャーの宇宙 (1983年)

エッシャーの宇宙 (1983年)

この本 今日会場でつい買ってしまった
限定グッズなど買わずにアマゾンででも買えそうな しかもこんな重い本を横浜まで運ぶのか とやや自分にあきれたが 今見るとどうやら絶版らしい よかったよかった
ちなみにこの本 なぜか大学工学部の図書館にあった
あの図書館はなぜかいろいろあった 中央図書館にないようなものまで
まったく金のあるところというのは


本の扉によると 著者は数学と物理の教師 ってなんだろう 大学か高校か それを教えつつ 天文学 写真術 筆記法 筆記学史 図像学 についての著書多数 オランダで最初の市民用天文台も作った というからたいへんな人物だが この人がエッシャーのよき友人であり 本書はエッシャー自身眼を通し 出版を楽しみにしていたらしい 
数ヵ月前に アルバン・ベルクの友人が書いたという伝記を読んで いささか落胆したのでその手のものはよほどのことがない限り読むまい と決めたのだが この本もそのくちだったのか
しかし 大変な力作であり すばらしい本だと思う
bunkamuraの売店で 他にも20冊ほどエッシャー本が並んでいたので一通り目は通したが この本の内容はずば抜けている ひかえめながら数学的な記述もあり 中学のときはちんぷんかんぷんだったが 今ならなんとかなりそうだ


さて さんざん迷いつつなんとか着く
混雑ぶりは聞いていたが 入場に30分待ちというのは尋常ではない ディズニー展ならわかるが今回の相手は白黒ですよ 動かないんだよ  ペンローズ三角形を紙に書いても別にまるをみっつ描くのとちがって著作権法違反で訴えられたりしないんだよ 
いかに人気のあるかがわかる


入口でなにやら音声ガイドを配っており 無料なのでうけとったらなんとこれが任天堂DSなのであった
初体験
細いペンのようなもので画面をさわって操作するとのことだが なにごともボタン派の僕はマウスもこのようなあやしい道具も苦手でなかなか認識してくれない
ピアノよりはバイオリン派なのだが


会場内では整然と列をつくり 順番に作品をながめていく
特に いかに初期作品は貴重で将来の才能を予感させるとはいえ そうじっくり見るものでもなく そういう一枚に数分かけるようでは先が思いやられる とひそかに焦っていたが さりとて行列を抜けたら最後二度と復帰できないのではなかろうか と小心ゆえ列に留まる
ああなんと日本人であることか 
さいわいにも次第に列は乱れ さほどの顰蹙を買わずに見ている人の横にすべりこむ芸当も身につけたが それでも列らしきものは最後まで存在していた  これはこれで珍しいものを見た


作品は そうね なかなかバラエティに富んでいたと思う
特にエッシャーがひどく気に入っていたという南イタリアをはじめとするヨーロッパ各地の風景描写は のちのちのパズル作品で断片的に登場しているものもあり また風景をネタにさまざまな版画技法を研究していたさまは バッハがヴィヴァルディを始めとするイタリアの巨匠のの協奏曲を自己流にアレンジして勉強していたことを思い出して愉快だった
ただ 作品解説はあの5倍あってもよかったな  
会場ならではの説明としては バッハの二声のインヴェンションを絵に置き換えた作品をアニメーションにしたもの
バッハファンとしての感想は 失敗 だった
やはり音楽は音符レベルでなく 動機レベルで聴いているのだな との実感 
いずれ そういう方法で音楽作品を解析するプログラムを書きたいと思っているが 詳細は極秘 というか未定
着眼点として音階を螺旋で表して オクターブは同じ線上にある としたのはちょっとおもしろいと思ったが 実際にはやはり高いものは高いのであり まだピアノの鍵盤のような数直線モデルの方が適しているとおもった  
ただし オクターブ上とか転調されたメロディをまったく同一のものと認識するということは この螺旋モデルがまったくのナンセンスではないことを示唆しており なんとか組み合わせれば たとえばワグナーの楽劇の動機解析なんかにも使えそうな気がする  折に触れかんがえてみたい

もうひとつ
http://www.cadcenter.co.jp/info/detail.php?ID=if00147
cad centerという3d画像関係の会社が提供したもので 円の極限シリーズをあつかったもの
このシリーズは 
エッシャーの絵には平面を一定のパターンで分割するシリーズがある
名作 夜と昼 などはこれを使ってとても美しいパターンの推移を描いたものである  だまし絵とならんでエッシャーといえば平面分割と思う人も多いだろう
円の極限シリーズはこれをある方向に発展させたもので 作品全体はひとつの大きな円の中に収まる
その円の中は平面分割が行われているが その平面自体は普通のデカルト座標ではなく ポアンカレの双曲面というものらしく 中心が最大で 周縁に向かうにつれ段々小さくなっていき円周上ではパターンは無限小となる 円周には到達しないのかもしれない  円周を無限遠とする空間である
むむ りぶつのくせにちっとも理解していないので説明が意味不明だ
ちゃんと調べて 後日また書きます たぶん   来年


で このシリーズのCG展示だが
タッチパネルに表示された絵の任意の場所を差すと そこにもともとの円の中心が寄ってくる
その際 画面の というか円内の他の部分はもともと円に固定されていた倍率にしたがってその大きさを変え 中心が変わったはずが結局もとの画面と同じものが現れる というしくみになっている  伝わるかな
まあ 詳しくは会場で
この展示は実におもしろかった  ひたすらぐりぐり動かしていたが 小さな子供が やりたいやりたい と母親にせがんでいたので大人の悲しさでやむなく譲った
あとは実際に版画につかった版木か  
二週間前に鎌倉で聞いたなんとかさんの講演にもあったが 版木というのは数十枚刷るとすぐ擦り減ってしまう 
エッシャーもそうらしいが 版画家はそうやって擦り減った版木を使えなくするためにわざと破損させるらしい もったいない 
今回の展示品の中にはそのような版木もあり エッシャーの作業DVDとともに緻密なビュラン捌きを追体験できる
ということで 人混みにもめげず 行く価値はあるでしょう



あとはあれか 少年マガジンエッシャーの紹介が連載されていて その雑誌の展示もあった
あんなのは日本だけしかできないだろうな 他の国でもそういうサブカルレベルでの紹介ってのはあったのだろうか
表紙を見ると あしたのジョーだのバカボンだの錚々たる作品が並んでいた