gymnoの自由談

音楽系、プログラミング系の内容 方針はいずれ

東部台文化会館での上松美香のコンサートに行ってきた

7月15日か


アイドルのイメージはさして修正を受けなかったし アルパという楽器が基本的には全音つまりピアノの白鍵のみと同型(フラット一つ アルトリコーダーみたいな)なので よくいえばききやすく悪く言えば耳に残らないイージーリスニング
久石譲みたいな感じだった  前半はアルパのソロ まあまあかな といったところ
後半のプログラムは打楽器とギターを加えたトリオ 和気藹々と活発でおもしろかった  全体的に自然体でさわやかな感じ  ルックスもあるのだろうけど実力はあるのでしょう
いい意味で今後の活躍を期待する


曲間のチューニング中に興味深い話
彼らは楽譜をまったく使っていないらしい  それでもアンサンブルなのでたとえば曲の途中から練習したいとき 目印となる楽譜がない  そこで曲の特徴を使って指標とする
あの シャーーーってとこからもう一回  ソーラン節(に似た音型)のところから  といった具合


楽譜を使わないのは暗譜とは根本的に違う  僕は小さなころから楽譜と音楽が一対一と言わないまでも 音楽を聴くときはやや抽象化された楽譜が頭の中に常にある 絶対音感がないので正確さは欠くにせよ  
一方楽譜を使わずに音楽をする人はいるわけでチャップリンにしろ美空ひばりにしろ 僕が驚嘆するほどすごいことをやっているわけではないのだろう  別のとり方がある というだけだ  
考えて見れば 抽象的な楽譜でも 時としてバイオリンやピアノを演奏する体勢としての筋肉の記憶という形をとることはある  たとえば上昇音型では ピアノのように右手をすばやく右の方へあるいはバイオリンのようにひじを収めて左手を手前にひきつける  
http://www.aozora.gr.jp/cards/000059/card374.html
だいたい 楽譜といってもおたまじゃくしばかりではない
日本の古い楽器では 口承だけでなく奏法の記録方法として手の動き自体を記録するというものもあったらしい  中世のネウマ譜なんてのも絶対的な音の高さが完全には表現されていなかったような
ただし注意すべきなのは ひとつの多様体としての音楽があってそこへの様々なアプローチとしていくつもの楽譜があるのではなく 同一の音響でも抽象的な楽譜の形態にしたがってさまざまな聴き方があり 心理作用としての音楽はむしろ楽譜に規定されるともいえる
抽象的な楽譜という概念を現実の記譜にこだわらないように定義できれば チャップリン美空ひばり 上松美香の音楽もその楽譜にしたがって計測できる  


むかし 高橋悠治が数理科学にコンピュータ音楽について書いていた
確率や解析的な手法よりかたちの認識にもとづく音楽 パターン認識というコンピュータのもtyとも苦手な手法が必要だ とのことだが最近のコンピュータはパターン認識くらい扱えるだろう
ニューラルネットワークを使った作曲なんてのもあるだろうが そのへんはどうなっているのだろうか