別に目くじらを立てるにはおよばないのだろうが この表現にはちょっと抵抗を覚える
通俗的な映画や小説などで 「科学が万能であると思っている思い上がった科学者」「超自然的な現象を科学の名のもとに切り捨てる心の狭い教師や親」などといった存在を目にする
あまり踏み込むと哲学になってしまって収拾がつかなくなるので触れるだけにするが 個人的に科学とは
可能な限り記述可能なものを記述する
という「態度」のことだと考えている
科学と技術が異なるのはもちろんのこと この定義だとまさに「科学に不可能はない」
科学で説明できないのではなく 説明しないのだ 定義域をはっきりさせる という言い方もできると思う
語りうることは明快に語り 語りえないことは沈黙しなければならない
このとっても有名なフレーズは 表現(ことば)は一種類しかないことを前提としていることに由来する不備があるが 科学のある側面をよく語っているように思える
分かりやすいところで霊魂
「科学者は霊魂を信じない」
この耳タコのフレーズにはふたつの突込みどころがある 「霊魂」を定義しろ ということと 信じる信じないは科学とは別の問題であること
目撃された火の玉について知りたいのか それとも人の死後に精神(と呼ばれるパターン)は存在するのかどうか するとしたらどのように残された人々の目に見えるのかを知りたいのか
この辺をごっちゃにして「信じますか」といわれても
ということになる
科学で解明されていないのではなく 解明しようという研究がなされていないだけだ ただし解明への意欲がなかなかわかないので(証拠不十分など)これからも一部を除いては行なわれないだろうけど
UFOについても以下同文
神についても定義が必要
宇宙を作った人格なのか 論理を超えたものなのか(数学における「神」)集団の秩序を維持するための方便なのか 個人の精神の安定化のために便宜的に導入された概念なのか
ちなみに最後の定義による神は半ば信じています
本当に「(従来の)科学を超えた」現象が観測されたらみな飛びつくでしょう
通常の社会における権益の考え方を科学の専門分野という考え方に無理やり結びつけた結果なのだろうか
もちろん個人的な信条は別だ
わかりやすいところでファインマンの言葉を借りると
「科学は たとえば左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさい ということは教えてくれない 道徳は科学の領域外なのだ」
卓抜なたとえだと思う
まあ なんにしろ定義域を考えなさいという結論ということで
ちょっと暴論だったかな